日本庭球協会の誕生
日本テニス協会の前進である日本庭球協会は、1922(T11)年に発足しました。発足前の状況としては、1920(T9)年に三井物産カルカッタ支店の清水善造氏がウィンブルドンのオールカマー制の決勝(現在の準決勝)に進出。また、三菱合資会社ニューヨーク支店勤務の熊谷一彌氏がアントワークオリンピックで単複銀メダルを取りました。ペアは三井物産ニューヨーク支店の柏尾誠一郎氏です。これは日本のオリンピック史上初のメダルとなります。
同年、三井の朝吹常吉氏が訪米の際、米国テニス協会(USTA)から強くデ杯(デビスカップ)への参加をすすめられ、帰国後、日本庭球協会を組織して、翌1921(T10)年2月に国際ローンテニス連盟(ILTF)に加盟を申請しました。にわかづくりの協会はこの年、熊谷、清水、柏尾のチームがデ杯に参加。チャレンジラウンド(現在のワールドグループ決勝)に進んで米国の王座に挑戦しました。かかる状況で、朝吹氏らは、協会組織を練り直し、翌1922(T11)年3月に発会式を行い、正式なスタートを切りました。米国からはデ杯戦の入場料配分金等として2万ドルが送金されてきて、これが協会運営の当座資金となりました。
三菱のデビスカップ選手
以降、三菱からはデビスカップに数々の選手を輩出しています。
熊谷 一彌(銀行) 1921、23~26
山岸 二郎(商事) 1934、35、37、38
中野 文照(電機) 1937、38、51、52
藤倉 五郎(金商) 1951
石黒 修(電機) 1958、60~66
半那 毅男(電機) 1961
藤井 道雄(電機) 1962~65
三菱全日本テニス選手権
2011(H23)年には、畔柳信雄氏(銀行)が盛田正明氏の後を受け、その後2019(R1)年からは山西健一郎氏(電機)が日本テニス協会会長に就任されました。2016(H28)年から2020(R2)年まで三菱グループが冠スポンサーとなり、三菱全日本テニス選手権として日本のテニスを支援しました。